テランブログ

日常や思い出を探検して、見たこと、感じたこと、不思議に思ったことなどを書いていきます。

【 VAN DER MEER DE DELFT 】テオフィールの美術鑑賞 Ⅲ

それから1848年のあとはやむを得ず異国人に、そして本能的に国際人となってイギリス、ドイツ、ベルギー、オランダに代る代る住み、ヨーロッパの美術館を調査して、伝承をまとめ、芸術に関する文献を原語で読むことができた。そして北方の画派、とりわけオランダ画派やレンブラントとその近くにいる画家たち… そして我が「スフィンクス」、ファン・デル・メールのいまだ不明瞭な歴史を解明しようとつとめた。

1858年の『オランダの美術館』の一冊目では、ハーグの美術館の風景画とシックス・ファン・ヒレゴムのコレクションにある二枚の絵画についての報告を載せた。1859年にはブリュッセルのアレンベルグのギャラリーと、エクス=ラ=シャペルのズアモントのギャラリーから、アレンベルグ公爵が所有する幻想的で青白い顔のトローニーと、ズアモントがもつ魅力的な《コテージ》を私のファン・デル・メールの作品カタログの基礎に加えた。1860年には『オランダの美術館』の二冊目において12点以上のファン・デル・メールの作品を明示することができ、そして《デルフトの眺望》の画家のほとんどすべての作品を見つけ出すために、ここ最近、私の助けとなった多くの示唆を集約することができたのだ。

 

 Plus tard, -- après 1848, étant devenu, par force, un étranger, et, par instinct, un cosmopolite, habitant tour à tour l'Angleterie, l'Allemagne, la Belgique, la Hollande, j'ai pu étudier les musées de l'Europe, recueillir les traditions, lire, en toute langue, les livres sur l'art, et chercher à débrouiller un peu  l'histoire encore confuse des écoles du Nord, surtout de l'école hollandaise, de Rembrandt et de son entourage, -- et de mon《sphinx》van der Meer.

 Dans le premier volume sur les Musée de la Hollande, en 1858, je signalais le paysage du musée de La Haye et les deux tableaux de la collection Six van Hillegom. En 1859, dans la Galerie d'Arenberg, à Bruxelles, et dans la Galerie Suermondt, à Aix-la-Chapelle, j'ajoutais à mon rudiment du catalogue de l'œuvre de van der Meer la tête fantastique et pâle que possède le duc d' Arenberg, et le délicieux Cottage que possède M. Suermondt. En 1860, dans le second volume sur les Musée de la Hollande, j'étais arrivé à authentiquer plus d'une douzaine de van der Meer, et à réunir quantité d'indications qui m'ont aidé depuis à retrouver presque l'œuvre entier du peintre de la Vue de delft.

 

BÜRGER, W. (=Théophile Thoré), ‘Van der Meer de Delft’, in Gazzete des Beaux-Arts, 21 (1866)

 

【 VAN DER MEER DE DELFT 】テオフィールの美術鑑賞 Ⅱ

アムステルダムの美術館で《夜警》、《調査官たち》、その他の素晴らしい作品を見た後、私はこの… そう!デルフトのファン・デル・メール?の手になる傑作の忘れられない思い出をパリに持ち帰った。この時、すべての絵は美術や芸術家の歴史に悩まされることなく、眼の喜びと美しい描写の叙述のためにあると考えるようになった。

のちに1848年までに数回をかけてオランダに渡り、主要な個人のギャラリーを訪ねる機会を得た。そして、市長を務めたヤン・シックスを描いたレンブラントによる有名な肖像画の幸福な所有者であり、子孫であるシックス・ファン・ヒレゴム氏のもとを訪れたとき、私は再び2点の不思議な絵を見つけたのである。それは《牛乳を注ぐ女》と《あるオランダ家屋の正面》で、デルフトのヤン・ファン・デル・メールの手になるものだった! おそるべき画家だ! だが、レンブラントとフランス・ハルスのあと、このファン・デル・メールがオランダ派のすべての画家たちの中で最上の巨匠の一人だというのか? ピーテル・デ・ホーホやメッツーを凌がないにしても、彼らに匹敵する画家について我々はどうして何も知らないのだろうか?

 

 Même après avoir vu la Ronde de nuit, les Syndics et les autres merveilles du musée d'Amsterdam, je rapportrai à Paris le souvenir ineffaçables de ce chef-d'œuvre, --par van der Meer de Delft? Soit! En ce temps-lâ, nous regardions tous la peinture pour le plaisir des yeux et pour en écrire de belles descriptions, sans trop nous tourmenter de l'histoire de l'art et des artistes.

 Plus tard, encore avant 1848, étant retourné plusieurs fois en Hollande, j'eus occasion de visiter aussi les principales galeries particulières, et chez M. Six van Hillegom, --l'heureux possesseur du célèbre portrait de son aïeul, le bourgmestre Jan Six, par Rembrandt, -- voilà que je trouvai encore deux peintures extraordinaires : une Servante qui verse du lait et la Façade d'une maison hollandaise, -- par Jan van  der Meer de Delft! -- Le terrible peintre! Mais, après Rembrandt et Frans Hals, ce van der Meer est donc un des premiers maîtres de toute l'école hollandaise? Comment ne sait-on rien d'un artiste qui égale, s'il ne surpasse, Pieter de Hooch et Metsu?

 

BÜRGER, W. (=Théophile Thoré), ‘Van der Meer de Delft’, in Gazzete des Beaux-Arts, 21 (1866)

【 VAN DER MEER DE DELFT 】テオフィールの美術鑑賞 Ⅰ

ハーグの美術館にて、見事で、とても風変わりな一枚の風景画が訪問者の足をとめている。芸術家たち、気品ある人々に絵から強い印象を与えているのだ。とある町の眺めで、岸や、アーチ型の古い水門、いろいろな建築様式の建物、庭の壁、木々、そして前方には河、傾斜している地面、幾人かの人の姿が見えている。銀灰の空、水の色調は少しフィリップ・コーニンクを思い出させるし、光の輝きや色彩の強さ、部分的に見える厚塗の頑丈さ、そしてとても現実的であると同時に独創的な効果はまた、レンブラントを思わせる。

1842年頃、最初にオランダの美術館に訪れた時、ハーグの美術館にあるとても不思議なレンブラントの《テュルプ博士の解剖学講義》などと同じくらい、この奇妙な絵画は私を驚かせた。誰の作品か分からずにカタログを参照すると、『ヤン・ファン・デル・メール・ド・デルフトによる、河の側から見たデルフトの町の眺望』とある。なんということだ! フランスでは知られていないとは。 有名になるに値する人物だというのに!

 

 Au musée de la Haye, un paysage superbe et très-singulier arrête tous les visiteurs et impressionne vivement les artistes et les raffinés en peinture. C'est une vue de ville, avec un quai, une vieille porte en arcade, des bâtiments d'une architecture très-variée, de murs de terrain et plusieurs figurines. Le ciel gris argentin et le ton de l'eau rappellent un peu Philip Koninck. L'éclat de la lumière, L'intensité de la couleur, la solideté des empâtements en certaines parties, l'effet très-réel et cependant très-original, ont aussi quelque chose de Rembrandt.

 Lorsqu je visitai pour la première fois les musées de la Hollande, vers 1842, cette peinture étrange me surprit autant que la Leçon d'anatomie et les autres Rembrandt, très-curieux, du musée de La Haye. Ne sachant à qui l'attribuer, je consultai le catalogue :  《Vue de la ville de Delft, du côte du canal, par Jan van der Meer de Delft. 》 Tien! en voilâ un que nous ne connaissons pas en France, et qui mériterait bien d'être connu!

 

BÜRGER, W. (=Théophile Thoré), ‘Van der Meer de Delft’, in Gazzete des Beaux-Arts, 21 (1866)

 

【フェルメール《小路》】 レンガブロックの遊び方。現実と絵の間の世界。

いいねぇこのレンガ!

色がいいし、いぶした感じがあって、しぶい雰囲気がただよってるよ。

なんだろうねこの不思議な感じ。

かたそうなものと柔らかそうなものが隣り合わせというか、混ざっちゃってるんだよね。

これはうまく組み立てないと。

 

 レンガブロックの遊び方。現実と絵の間の世界。

 

いい赤茶色だ。

いかにもそこにあるって感じで。

当時フェルメールはここから見てたんだろうけど、よくもまぁこんなに真正面から見れて、キャンヴァスと見事に平行に切り取ったというか描きとったというか。

欲しい風景だけここに持ってきたって感じ。

 

右の家のレンガ、継目があって小さなブロックでできてるのが分かるし、曲線のアーチ部分も見えて構造が意識されてるなぁ。

たぶん修理跡もあり窓もちょっと疲れてて、なかなか年月を経た建物かもしれない。

あんなに綺麗なお部屋を描く人なのに、この絵では朽ちたような部分もかくんだね。

 

下の部分は白くて塗られて…… これは本当にあったんだろうか?

入口の赤い開き戸とか人の姿が際立つように変更していたりしないだろうか。左のお家に白いところにサインもあるし。

全体を見るとちょいと色が足りない国旗というか、ホイップクリームの入ったパフェとか飲み物とか… 鮮やかでないんだけど何となく美味しそう。

でもこの白部分が黄ばんでたりはするんだよなぁ。

 

向こうに行くにつれ、低い三角形の家がいくつか見えて。空にはちょっとした雨雲も見えて。どうやらこの空と雲を描くために建物の高さを調整した、低くしたという噂があるんだよね。

たしかに絵的には今の方が面白い。

 

何人かややカラフルな人が見える。

ここで暮らした人たちだ。誰も顔はよく見えないけど、みんな何かに熱中しているよ。

右の家の入口で座る女性はたぶん裁縫だね。細かな作業で明るい光がいるから外に出てきてるんだ。すぐそこで2人の子供が遊んでる。市松模様のタイルにお絵描きしてるんじゃないかな。この道から見える奥のスペースでは女性がたぶんお掃除してるね。

時間が経って朽ちた部分も目の前にあったから描いてるけど、少し汚れてるように見えてこの道はたぶんすごい綺麗なんだよ。お掃除しているし、家の清潔、街の清潔は、国の安全にもつながってたから。

 

みんな没頭していて、それを描くフェルメールもこの小路で没頭していて。

 

家のかたちが特徴的。三角や四角。窓も四角。入口には半円形もあり。人と雲は丸かったりで曲線があって。左の家をつたう植物は… 青と白のお花が咲いてるかもしれないなぁ。これも突然の有機物。

この対照が、絵に微妙な不思議さと面白みをだしてるよね。

 

 

四角と三角と少しの丸のレンガブロックを組み立てて組み合わせて。

立体的にはブロック遊び。

でも正面はパズルみたいだね。

 

この道をどれだけの人が歩いただろう。

馬や他の動物の足音も聞こえてきそうだ。

 

面白くて不思議な絵。

50cmくらいのこんなに小さくて。

動く窓というか、持って帰りたいくらいよくできた小さな現実。

 

赤茶色の割合が絶妙だ。

絵と現実の間って感じかな。

 

 

 

作品: ヨハネス・フェルメール 《小路》 1658年頃、54.3 × 44.0 cm、アムステルダム国立美術館

謎めいた、私のスフィンクスをあなたに捧げます

トレ=ビュルガー「デルフトのファン・デル・メール」(1866年)

 

 

初対面の人をも魅了しながら、正しく評価されていない人。神秘と現実、影と光の謎…… 芸術と生活における、二つの両極を湛えた謎めいた人。

 

もし、あなたが井戸を横切るなら、深奥を見るためにそこを降りなければなりません。そして見つけるでしょう。陶器のヴァイオリンを。珍重なるものを。そして、真実を。

 

きっと疑問に思う。どうしてこのような声を上げ、賛美を奏でようとするのか。

 

あなたは、半ば死に足を踏み入れた三人の画家、ル・ナン兄弟を再生させたのだから、忘却に沈み、今、私が引き戻そうとする、とある人に興味をもつでしょう。愛するオランダ画派の歴史のなかで、時折、無知が犯してしまった不当への釈明です。

 

ファン・デル・メールは死んでいない。彼が創り出したものは、いつもそこにあるのです。しかし輝くような彼の作品から、人は名前を消し去りました。ライスダールの影に隠れたホッベマのように、ファン・デル・メールは、ピーテル・デ・ホーホの後ろで見えなくなっているのです。

 

今、ホッベマは、ホッベマとしてあることを、友人であり仲間であったライスダールの近くに取り戻しました。そして同様に、ファン・デル・メールはレンブラントの隣人として、ピーテル・デ・ホーホ、そしてメッツーの側に戻ることを決めたのです。

 

この業をもって、私のスフィンクスをあなたに捧げます。自然を理解し、魅力的な誠実さで表現する、現代で自然に夢中の画家たちの祖先であると、あなたは認めることでしょう。

 

 

 

 Vous êtes de ceux qu'attirent l'Inconnu et Le Méconnu. Vous êtes à la fois curieux du mystère et de la réalité, de l'ombre et le lumierè, -- les deux extrémités de l'art et de la vie.

  Si vous passez près d'un puits, il faut que vous y descendiez pour voir ce qu' il y a au fond. Et vous y trouvez des Violons de faÏence, quelque rareté ou quelque vérité.

 Vous aimez les points d' interrogation, pour en faire des points d' exclamation et admiration.

 Puisque vous avez ressuscité trois hommes à demi morts, les frères Lenain, vous vous intréresserez à un original qui était tombé dans l' oubli, et que j' essaye de ramener au jour. Reparation d' une injustice que l' ignorance a souvent commise dans l' histoir de notre chére  école hollandaise.

  Van der Meer n' était pas mort, et ce qu' il avait créé était toujours là, mais de ses œuvres resplendissantes on avait  effacé son nom. Van der Meer  avait disparu  derrière Ruisdael.

  Maintenant, Hobbema a repris son individualité près de son ami et compagnon Ruisdael.Il convient également de restituer van der Meer à côté de Pieter de Hooch et Metsu, dans le voisinage de Rembrandt.

  A mon tour, je vous dédie mon sphinx, que vous reconnaîtrez pour un ancêtre des artistes amoureux de la Nature, qui la comprennent et qui l' expriment dans son attrayante sincérité.

  

BÜRGER, W. (=Théophile Thoré), ‘Van der Meer de Delft’, in Gazzete des Beaux-Arts, 21 (1866), pp. 297-98.

 

謎めいた、私のスフィンクスを捧げます。

 

6月21日 金曜日 たぐいまれな、透視法で描かれた絵をフェルメールさんに見せてもらった

ピーテル・テーディング・ファン・ベルクハウト「日記」(1669年 6月21日)

 

6月21日 金曜日

今朝、私はブリルとブレダにいる従兄弟のベルクハウトを応対して出発し、フェルメールという名の有名な画家に会った。遠近法で構成された、非常に並はずれて、とても不思議な、彼の芸術を成すいくつかの作品を私に見せてくれた。…

 

Vendredij 21 Juijn

J’ escrivis ce matin a mon Coujin Berckhout, qui demeure a La Brile, et aussij a Breda, ie sortis ensuite et fus voijr un celebre peijntre nommé Vermer, qui me monstra quelques eschantillons de son art dont La partie La plus extraordinaijre et La plus curieuse consiste dans La perspective.…

 

Pieter Teding van Berckhout, Le Journal, 1669.

 6月21日 金曜日 たぐいまれな、透視法で描かれた絵を彼に見せてもらった…

 

【メーヘレン《エマオの食事》】 偽物か? いやホンモノか?

あ、、、こ・れ・は…… 誰の絵だ?

あれか! フェルメ…… えっ? ちがう? そんな間違いしちゃダメだって?

なるほどね…… ……贋作か。ということは…… うん、メーヘレンだな!

 

偽物か? いやホンモノか?

なんでだろう。一回認識したら違うってわかるんだけど、ぼんやり見てると何となく似てるように思っちゃうんだよ…… いや似てるように見ようとしちゃうのかも。

これはたぶんフェルメールが人気になりすぎて、絵とか生涯とか、残された彼の残影にまつわる事件の物語を紹介するなかで、メーヘレンの贋作事件も語られるようになったから、フェルメールのイメージと混ざってしまってるのかもしれないな。

 

人の顔の凹凸の感じとか、重たそうな服とか、等身の長さのバランスとか、よく見れば全然違うんだけども。

光も強すぎるというか、光源の窓なんか分かりやすいけど、安直な明暗の処理がされてるし。

ただこの作品、一度はフェルメールの手になるってされたんだよね…。

じゃあ、一体どこが似てるんだろうか??

 

よくよく見ていくと。

 

左で奥を向いてる人は、フェルメールの《兵士と笑う女》(1658年頃、フリック・コレクション)の椅子に座って背を向けた男性像に似せてるのか。

 

右の黄色い服着た人は、《天文学者》(1668年、ルーヴル美術館)の学者さんが左向いた側面像からとられてるなぁ。

 

キリストらしき中央の人が手を伸ばすパンは、《牛乳を注ぐ女》(1658-60年頃、アムステルダム国立美術館)のパンに見られる丸いつぶ状の描写を真似ているぞ。

 

絵自体の宗教的なテーマは、初期の《マリアとマルタの家のキリスト》(1654-5年頃、スコットランド国立美術館)に近いものを選んだんだろうし、人物像の身振りやモデリングも意識してるんだろうな。このあたりは《取り持ち女》(1656年、ドレスデン国立絵画館)からも類似点がありそうだ。

 

複数人をクローズアップして描く構成も《取り持ち女》に着想があったかなぁ。暗がりの酒場の場面ていうのは、当時もたくさん描かれただろうし、メーヘレンの宗教画《エマオの食事》との間で絶妙な均衡を保ってる気がする。

 

具体的にはこんな感じかな。

 

白いデカンタとグラスは、フェルメールの画業前半の作品によく出てくるし、左の壁にある窓だろうものは、同じくフェルメールがよく左壁面に窓や鏡を描いている。これで光が差す方向も似たようにできるわけだ。壁に四角い穴を開けただけではないか?という粗い気がするけど、幾何学的な絵のつくりかたは、フェルメールから抽出したエッセンスではあるな。

 

構図はイタリア・バロックのカラヴァッジョの《エマオの晩餐》に近いし、ちょっと引きの構図だけど人物のバランスはレンブラントの《エマオのキリスト》にも似てる。この主題とか表現は、テル・ブリュッヘンやホントホルストといったカラヴァッジストがオランダにもいたように、強い明暗やドラマティックな表現を伝播させた動きと大体沿うものと言えそうだ。

レンブラントが用いる、引きで全体を劇的に映す構図は、彼が独自の効果を求めた部分だと思う。

 

そういうフェルメールが生きた時代の背景にある絵の大きな流れに従いつつ、複数の作品から取り出したエッセンスを組立てて、「フェルメール」を作りだす…。

《マリアとマルタの家のキリスト》と《取り持ち女》の間ぐらいの時期にちょうどおさまりそうで、ちょうど当てはまりそうな作品…。本人が描いてそうだけど、我々が未知の、あったら信じそうなもっともらしい「フェルメール」。

 

似てると同時に違う。

 

その違いこそが、フェルメールらしからぬ、よく知る作品とは少し違う作品がまだ出てくるはずだと待望された時代に、メーヘレンという贋作者がピースの一つとなる場所を生み出したんだろう。

むしろ違う部分がのちに研ぎ澄まされたという説得力を持つというか、全盛期と比べられうる稚拙さや才能の片鱗がこの作品にはあるんだという理由になってしまったんだろうね。

 

騙された専門家は……… そういう願望や欲望に勝つことができなかったのかな。

 

そこを狙う戦略もすごい。

フェルメールの全作品が、今ほどはっきり分かっていなかった状況もそれを助けたんだろうね。

 

ただ、この作品はフェルメールの贋作ではあるけれども、ハン・ファン・メーヘレンのオリジナル作品なんだ。それもあってボイマンス美術館も常設展示してるんだろう。あらゆる技術、知恵を注いで、20世紀にフェルメールを再生しようとしたメーヘレンの傑作とも言えるのかもしれないな。 

 

 

 

作品:ハン・ファン・メーヘレン 《エマオの食事》 1937年、ボイマンス=ファン・ブーニンヘン美術館